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植木屋への道

運送会社から、植木屋へ

私が独立したのは、ただのわがままです。
運送会社に勤めていた頃、こんな仕事いつまでもやってられないと思いました。
運転免許さえあれば、できるような仕事だと思ったからです。
もちろん、体力も必要ですがかなりハードな仕事でしたので、体力は付きました。
一部の人以外は、上下関係があまりない会社でしたので、楽しかったのですが、一部の人と衝突することがしばしばあり、事実上は解雇されました。
私の言っている事は決して間違っていないのですが、社会に出たら我慢も必要かと思い知らされました。
まぁ、労働組合のない小さな会社でしたので、経営者の方針に従わない人間は、手っ取り早くクビにされる運命だったのです。
後に法律の勉強をして分かったのですが、不当な解雇を当たり前のようにされました。
独裁者のする事とたいして変わりません。零細企業では良くある話です。
与えられた仕事は遅滞無く、すべて予定通りに終らせ、新人の面倒まで見れる位になっていたのですが、会社の方針に疑問符がつく事が多々有りました。
文句ではなく、意見をしただけなんですが、自分を主張する人間が私一人でしたので社長は気に入らなかったのでしょう。器の小さい人間です。
30日前に解雇通告もなければ、30日分以上の平均賃金の支払いもありません。この社長は労働基準法20条を知っているのだろうか?
後に、いくつかの零細企業に転職する事になりますが、労働法を守っている会社は一つも有りませんでした。 零細企業でこんな事していたら経営は成り立たないでしょう。

初めての造園会社

配達の途中で、庭の手入れをしている人たちを何度か見かけました。
あの仕事おもしろそうだなと思っていたので、解雇されて一週間でハローワークで造園会社を見つけ,面接に伺いました。
金○区の大○建設という会社です。 給料は日当8000円+交通費500円です。
何も分からない私は、下済みだからこんなもんだろうと思いここに決めました。 造園業なのに建設というのが、少し理解できません。
最初の2週間はずっとゴミそうじです。 わがままな私は、こんな事するために植木屋になったのではないと思い急いで掃除を終らせ、
社長が登っている木に私も登り「教えてください」と言いました。 社長は少し驚いていましたが、すごく親切に教えて頂きました。
植木の剪定は基本的な切り方はどの木も同じです。 そのうちに掃除は他の人がするようになり、ペースは遅いですがずっと木を切らせてくれました。
3時過ぎると、自主的に掃除しました。 掃除は大切です。植木屋が去った後はチリ一つ残してはいけません。
2月になると仕事量はかなり減ります。 多少の雨でも今日は休みと朝電話が入ります。
この会社の内容は8割が役所関係(公営団地、公園管理、街路樹)の管理です。 残りが個人邸です。
栄区にある○○造園の2次請なので、2月以降の仕事はとても植木屋の仕事とは思えませんでした。
給料が安い上にとんでもない事するので、わがままな私は自主的に退社しました。
ここの社長にあんなに親切に教えてもらえなかったら、こんなに早く上達できなかったのだろうと思います。社長、ありがとうございました。

屋内仕事への転職

 

天候に左右される仕事は収入が不定なので、次は室内の仕事を選びました。
デスクワークではありません。建築石工ボードを貼る仕事です。石工ボードは世界共通の材料です。
ハローワークで、○田工業という会社を見つけました。兄弟二人で経営している会社です。
入って間もなく、岩手県花巻市の宮沢賢治記念体育館の天井を作りに行きました。
弟が社長なんですが、弟は横浜に残り兄貴と私二人で行きました。
岩手に他の横浜から来ている金○建築内装という職人さんがいたので、その会社と一緒に仕事しました。
ここで金○さんと知り合ったことが、私の人生の転機でした。生まれて初めて尊敬できる人間に出会いました。
○田工業に疑問を抱いていた私は,横浜に帰ってきてすぐに金○さんの所へ電話しました。
○田工業はもう辞めるので、私を使ってください と、お願いしました。
OKはでません。 たまに現場で一緒になるから、キチンとすじ通して来い と言われ次の日、○田社長に話をして退社しました。
そんなに仕事がないようなのでその日限りで辞めました。私は本当にわがままです。
次の日から金○さんの所へ働きに行きました。
この人はたいへん面倒見が良く、仕事以外のこともすべて面倒見てくれるような人です。社員から労働力を搾取しません。
2~3年経って一人前にしたら、手間で賃金を払います。
自分の取り分は微々たるものです。10年以上働いている職人が何人もいました。
この人の下でなら一生ここで働けると思いました。
植木屋やろうと、ボード屋やろうとも絶対に独立してみせると思っていましたが、私にとってそれ位尊敬できる人間でした。
一年ぐらい経って、耳鳴りが止まなくなりました。耳元でうるさい機械を使うからでしょう。
幼い頃、爆竹で遊んでいて耳鳴りが止まらなくなった私は、耳鼻科へいきました。
右耳が難聴なのでコンサートなど、うるさい場所へは行かないようにそういわれたのを思い出しました。
ツライです。夜、眠れません。 この仕事のせいにしたくなかったのですが
親方に事情を話し辞めざるをえなくなりました。
今日でもう最後の日は、泣きそうでした。いろいろ良く面倒見てくれたので・・・
現在でも年賀状のやりとりをしています。
アパート経営をしているので、そこの植木の手入れをさせて頂いてます。

植木屋への再就職

漢方薬や針治療でなんとか良くなり、また植木屋をやろうと思いました。
またまたハローワークへ行き、笹○植木という会社を見つけました。 面接へ行きました。
「お電話した保志ですけど」 扉の向こうから出てきたのは、ごく普通のオッサンでした。
「社長さんは居られますか?」 の問いかけに 「私が社長です」 この時点で辞めておけば良かった。 社長というオーラが全く感じられません。
ボード屋の時、大工、左官屋、はつり屋、クロス屋、たくさんの職業の方を観ましたが パッと見て、この人が社長だろうなというのは結構わかるものです。
それなりのオーラがでていますから。 とにかくコイツはひどい人間でした。
この会社に一年半位居ましたが、よく私がそんなに長く我慢できたなと思います。
私よりも先に入っていた相原君ってのがいて、なかなかおもしろいやつで、彼がいなければ一ヶ月もたなかったでしょう。
今でも一人ではできない仕事があると手伝ってもらっています。 この会社は当日の朝までどこの現場へ行くのか分かりません。
いや、教えてくれません。 道具も朝、用意します。信じられません。現場で道具が足りないと、社長は当然文句を言います。
寝ぼけた時間に用意するわけですから当たり前です。社員の職務怠慢ではない。 前日に何処の現場へ行き、何を持っていくか言わない社長が悪い。
この事について社長とケンカになり、クビになった社員が何人もいたそうです。独裁者のする事とたいして変わりません。
植木の切り方や知識について、何も教えてくれません。 見て覚えるほどうまくないです。 はっきり言ってメチャクチャです。植木屋ではなくて木こりです。
何でもチェーンソーでぶった切ります。 こんな仕事、道具さえ持っていれば誰にでもできるような事しかしません。
仕事は一次で請けていたので、以前勤めていた造園会社みたいにとんでもない仕事は引き受けなくて済むのですが、個人邸の仕事はありません。
コイツには出来ない。 ある日、事務所に居たら一般のお客さんから電話が入って社長がでました。 「うちは、個人宅の手入れはしませんので」 の一言で切ってました。
弟が専務なのですが、「そういう返事のしかたはないだろ!」 ケンカになりました。
この二人は、とにかく仲悪い。意見が一致している所を見たことがない。 私がこの会社に入った時、10年以上の経験者はひとりだけでした。
そのおじさんは30過ぎてから入ったので、「俺も嫌だけどな、この歳になると他に雇ってくれるとこなんてないよ」 と言っていたのでそうとう我慢しているのでしょう。
そういう我慢ができる人はある意味、尊敬します。 他の人はクビか自主退社です。 もう一人経験者は居ましたが、
技能士一級を取得したのに嫌気が差したのでしょう早々と去ってしまいました。 残された私たちはほとんどぺーぺーです。 社長は元は床屋だったそうです。
弟(専務)が植木屋をはじめたそうです。その頃、横浜市は宅地造成で植木を植える仕事がたくさんあり、農家が造園業をはじめました。
この会社も山2つもっています。 社長はたいした苦労も知ること無く育てられ、社長という肩書きを得た人間です。
ですから私たち下っ端の気持ちなどわかるはずがありません。 苦労して会社を興した人間はこんな人間にはならない。
最初から最後まで一度も尊敬する事がありませんでした。 犬とサルの関係位、仲の悪かった私と社長は案の定口ゲンカになりクビになりました。
なぜかこの時やけにすがすがしい気持ちになりました。 酒を飲むと胃が痛くなる程ストレスがたまっていたので、せいせいしたのでしょう。

独立へのステップ

 

このままのスタイルで人生歩むのは、いい加減まずいかなと少しは思うようになりました。
独立するのは、まだ早過ぎるし、技術も知識もまだ全然たりないのでまた、ハローワークへ行きました。何度足を運んだのだろう。
川崎の○花園という会社を見つけました。またまた面接の時、この社長うさんくさいヤツやなと思いました。
顔色が現場でバリバリやっている人の顔には見えなかったからです。
この方は社長という事は一目見て分かりましたが会社に入って一週間、社長は現場には来ません。
現場を仕切っているのは、一番長く勤めているサルみたいなオッサンです。
5~6年は勤めているみたいです。コイツが本当に嫌なやつでした。理不尽極まりない事を平気で口にします。
社長には忠誠を誓いますが、影でいろいろ愚痴を言う最低の男です。
個人邸のお客さんにも避けられるような変な人です。
他の腕のいい職人さんはみんなクビか自主退社していないそうです。
どうやらこの会社もいろいろ問題があるようです。
この会社は小さいのに手広く事業をやっていて、花屋と貸し植木をやっていました。
社員に肩書きをつけるのが好きなようで、大企業並みの役職がありこっけいでした。
役所関係の仕事はしていないので、造園は東芝関係と昭和シェル関係がメインでした。
社長は花屋と取引先のお偉いさんに、挨拶や接待するのが仕事のようでほとんど現場 には顔出しません。
零細企業が手広く事業すると失敗します。なにか一つの事を極めないとすべてうまくいかないと思います。
貸し植木はほとんど採算取れていません。花屋も先代の時に比べると流行ってないそうです。
大手企業は経営状態が悪化すると、まず人件費から削ります。リストラです。
次に流通コスト、次に植木の手入れなどする必要の無いメンテナンス業務です。
取引先が大手のため景気が悪いので当然仕事が減りました。
朝、雨が降っていませんが天気予報で午後から雨と予報がでたら、その日は休みです。
日給月給の人間にとってはツライです。
私はそれなりに仕事出来ましたし、社長には気に入られていたみたいですが、この社長も気に入らない社員はすぐクビにします。
最低の人間です。独裁者です。私は2年半くらいこの会社に勤めましたが、クビになった人を何人も見ました。
社長に意見できません。独裁者を今まで何人か見てきた私は珍しく大人しくしていました。
世渡り上手になったのか、学習能力があったのか、したたかな部分がありまして造園技能士の資格を取るまでこの会社に居ようと思っていたからです。
試験はお金が掛かります。会社に居れば負担してくれます。受かるまでの我慢です。
試験は見事一回で受かりました。すぐ止めるのは罪悪感があるので、その後一年位は勤めました。

世の中の会社への不満

まだ独立しようという考えは無く、勤めながらもハローワークや求人情報誌などで見つけては面接に行きました。
面接慣れしていた私が聴く事は 10年以上勤めている社員が何人いるか? 定期で手入れをする大きい現場をいくつ持っているか?
雨の日は完全休みの場合手当てがあるか? 個人邸の手入れを何軒もっているのか? です。
私はまだ知識が不足しているので、個人邸の手入れをして知識を身に付けたかったからです。
技能士の資格をもっていたのでどこへ行ってもいい返事が返ってきましたが私の求めている事と全く一致しません。
創業30年くらいの会社に10年勤めてる人が何人いるかだけで、社長の器なんて測れそうなものです。
所詮、ハローワークで人を集めているような会社なんてどこも似たようなものです。
はじめてハローワークに行った時から求人募集している会社もいくつか見ました。 面接に行くまでも無く、その会社の内部事情は手に取るようにわかります。
何故、従業員が不満を持つのか考えないのでしょうか独裁者である限り考えないのでしょう。あなたたちなんかそんなに偉くないです。

独立の決意

いい加減、捜すのに疲れました。 そうだ、もう自分ではじめてしまえ 10月にチラシを近所の印刷工場で作ってもらい、2週間で3~400枚配り歩きました。
宣伝方法がそれ以外ないのでたいへんです。 円満退社したわけではないので、前の会社から仕事もらえるわけでもないですからこの時はまだトラックが有りませんでした。
チラシを見て果たして電話掛かって来るのだろうか電話帳は5月に締め切り10月に各家庭に配られるので、一年後になります。
一軒でも仕事取れたら軽トラを買おうと思っていました。 11月に入り一軒目の電話が鳴りました。 早速見積もりです。 お願いしますとの事。
急いで軽トラ買いに行きました。 初めてのお客様なのでかなり緊張しましたが、すごく嬉しかったです。 去年も手入れに伺いました。1年に1度の定期の顧客になりました。
11,12月の2ヶ月間に合計12軒手入れをしました。 出だし好調でしょう。 10月に始めたのは正解でした。
1,12月は手入れのシーズンなのでひょっとしたらという考えはありましたので。
当初の予定では、植木屋だけではとても食べていけないのは判っていたので 便利屋と兼用でやろうと思っていました。
何も無い状態で独立したため、何の仕事の当てのない私は忙しい時だけ手伝わせてくれる便利屋をタウンページで片っ端から電話しました。
やはり自分と同じ考えの便利屋が有り、そこでたまにアルバイトをしています。 しかし便利屋はなかなか一人では出来ない仕事がたくさんあります。
不要品処分などが主な仕事で、利益率は高いのですが、冷蔵庫なんて一人で持ち上がりません。 やっぱり私は植木屋一本で行こうと思いました。
このホームページを作っている現在で、独立して1年半になります。 よくもまぁ1年以上も続いたものだと思います。

そして現在

石の上にも3年 決して裕福な生活を送れているわけではありません。 少なくとも3年は歯を食いしばって、めげる事無く、かんばって行こうと思います。
まだ知識は不足していますが、腕には自信があります。 コレを読んでくださいましたお客様、こんな私で良ければ是非、庭木の手入れをさせて下さい。
同業者の方で人が足りないような仕事が有りましたら、連絡ください。 最後まで全部読んでくれた方、疲れたでしょう。 このへんでおわりにしましょう。

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